もし異世界の住人が現代社会でサイト制作をしたら

第777会議室

現代社会と並行して、勇者や魔法使いがいる異世界が存在したとしても、現代社会における物理法則が異世界と独立して正常に動作していたならば、たとえ異世界が現代社会に隠然とした力を及ぼしていたとしても、異世界の存在には誰も気付かないし誰も困らないだろう。

福ロウは現代社会における人間の40代男性、転生してきた異世界においては梟の雄であった。雨。目の前の男が、革靴で床を擦りキュッキュッと音を鳴らした。寒いねー。あーしんど。と呟く男。緑の傘を膝で挟んで、支えている女。車内アナウンスが、信号待ちです、と告げる。扉が閉まります、ご注意下さい、といって再び電車が走りはじめた。

改札口で、ICカードの読み取りエラーの通知音が、鳴る。区間内のはずなのだが。

都心から少し離れたところにあるマンションの一室、福ロウの和室の部屋で、福ロウが戻ると、他に男1名、女2名の計3名で、騒がしく話し合っている。

「何でこんなにダサいんだ!!!動画貼っただけじゃないか!文章は少ないし」

畳のいい匂いがする福ロウの部屋とはイメージが違う、異世界の戦士から転生した30代男性のアクターサイド=ドラゴノスキーが大声を出している。中性的な雰囲気があり実年齢より若く見える。しかし、気性は荒い。

福ロウを加えた4人は最近、協力してサイト制作を始めたところだ。

「ごめんなさい」と元は魔法使いで、今は福ロウのデジタル秘書をしている20代前半女性、栞が謝った。動画を貼っただけで文章が少ない記事とは、栞が書いたITやWebに関する記事のことだ。

冒頭に大声を上げたアクターサイドは文学と哲学の記事を担当しているものの、まだ一つも投稿していない。そこを指摘して言い返すことは出来きそうだが、栞は言い返さなかった。

「仕方ないじゃろ。ワシらは異世界から転生してきた素人なんじゃから・・・」

福ロウが栞をフォローする発言をする。窓の外から電車が通り過ぎる音が入ってくる。福ロウは事務職として会社勤めをするサラリーマンである。

福ロウはくだらない冗談を言うところはあるが、レンタルサーバーの契約などサイト運営の土台となる大事な部分を担っている。

「気がついたら福ロウさんが勝手に始めちゃってて・・レンタルサーバー代も払ったから後戻りはできないよ」とクリスティーン。

彼女はあらゆる被造物に恩寵を与える知恵の女神であった。今は物理学と数学の記事を担当する20代半ばの女性である。

「すまん、でも相談したじゃないか、アクターサイド」と福ロウが応じると、アクターサイドは「おう」とだけ言って頷いた。

「そもそもサイト名『コーヒーとブログ』はアクターサイドが決めてくれたしな」と福ロウが続ける。

福ロウ達が運営するサイトは今のところブログサイトとなっている。くるくると首を回しつつ、あらゆる事物に目を配り、あらゆる事物に興味を示す福ロウの高尚な性向により、ブログの話題は物理学、数学、IT、Web、文学、哲学・・・と多岐に渡っている。

「夢を膨らませてしゃべっているうちは面白いから盛り上がってしまったけど、実際にサーバーの契約をしてとなると、怖くなるよな。まあ、始まってしまったものは仕方ないから、どうやったらサイトが世の皆様にとって良いものになるか、皆で打ち合わせをしようじゃないか」

「そうじゃな」と福ロウは答えた。

福ロウとアクターサイド=ドラゴノスキーの会話の勢いでトントン拍子で始まったサイト制作。どんどん発展していくのか、それとも尻窄みに自然消滅してしまうのか。

「俺は意外とやる気あるぞ。ゼロからでも始めるつもりだ。」

「サイト制作はまだ始まったばかり。彼はどこまで真剣なのだろう。お菓子ばっかり食べててもな。」と福ロウは心の中で呟く。

「えーやる気あったんだ・・・」とクリスティーン。

まだ一つの記事も投稿をしていないアクターサイドに疑問ありげである。

そんなリプライを全く気にしない様子でアクターサイドが続ける。

「よし、これは一大プロジェクトだからな。」

福ロウ以外の3人は、転生元の異世界にいる時からの知り合いで、今回のサイト制作は私的なサークル活動のようなものだ。にも関わらず、どこか大手企業の新規事業のような大袈裟な言い方。

まるで投降することを知らない戦士のようだ。

さて、あれよあれよという間に騒ぎは収束し、アクターサイドとクリスティーンが立ち去った後、福ロウは栞と二人だけで、焼肉屋に行き、この日の騒ぎについて栞の目にどのように映ったのかを聞いた。

乾いた折り畳み傘をカバンに入れるのを忘れていた。

オレンジ色のゴミ箱が風に煽られてのか、倒れて道路に転がっていた。

福ロウは栞から、福ロウと出会うまでに栞たちに起きたことを聞いた。

「福ロウさん、お米、おかわりしましょうか?」

夜明けの空は鼠色。朝、通勤途中の電車で、栞の話を反芻する。


「ごめんなさい。」

やっと声に出した言葉はそれだけ。こたつ机の反対側にいる男の言わんとすることは分かっていた。栞は自分自身のスマートフォンへと視線を落としたのだが、すぐに落とした視線を窓の外に戻した。窓のすぐ下には、ここのマンション付属の公園があり、その草叢に雀が一羽降り立つのが見えた。

使う語彙は変わったけど、気性は相変わらずの激しさだわ。赤いTシャツの男の名はアクターサイド=ドラゴノスキー。栞とは、ともに魔王と闘った戦友である。今から数ヶ月前、栞とアクターサイドは魔王と対峙していた。魔王の圧倒的な力は、攻守共に二人を凌駕していることは分かっていた。にもかかわらず、「弱気になることはない。俺達の力を組み合わせたら必ず勝てる!」そう言って魔王に挑戦しようと威勢良く言い出したのが、アクターサイドであった。

公園の草叢でさっきの雀が何かを啄んでいるようだ。そんな雀に気付くともなく、幼児が一人、遊具と戯れている。時折沿道を通り過ぎる自動車。少し離れたところで、母親であろう女性が幼児を優しく見守っていた。

窓の外から「ワハハはは」男の高笑いが聞こえる。栞は魔王との戦いの日々を思い出した。この世界では、トラウマとかフラッシュバックという語彙で表現することを栞は覚えている。

栞は手許で青白く光るスマートフォンに視線を再び戻し苦笑した。このスマホに表示された拙いブログ記事は私が作ったものなのね。栞はそう思った後、自分もアクターサイドと同様この世界の事物に染まっていることに気付き、また苦笑し、手に持っていたスマホを俯けにしてコタツ机の上に置いた。コタツ机には、コンソメパンチのポテトチップスをのせた小皿が四枚並んでいる。

そんな栞に左隣から注がれる慈愛溢れる眼差しには、いつも安らぎを与えられ、何度も救われた。優しい眼差しに癒やされる一方、栞が見つめ返すことはしなかった。同性からしても眩しすぎるその美貌のためである。思い出したのは元の世界での魔王との闘いを決意したときのこと。アクターサイドの無謀な申し出に栞は躊躇したのだが、まさか魔王との闘いに知恵と恩寵の女神が協力してくれるとは思ってもいなかった。

「ワハハはは!!もがけ!!」

魔王との闘いは数時間にも及んだ。栞たちの攻撃は魔王にはかすり傷程度の意味しか持たない。それに対して魔王の凶悪な攻撃は重く、栞とアクターサイドは幾度となく瀕死の重傷を負った。でも瀕死になる度に女神が放つ恩寵の光。「助かったぜ!クリスティーン様!」それは女神クリスティーンの持つ無制限の回復魔法であった。この回復魔法を持つクリスティーンの参戦がなければ、栞は魔王との闘いを決意していなかっただろう。無制限に回復する栞たちは、少しずつ魔王を追い詰めていた。魔王には、僅かな傷しか与えられないが、その僅かな傷が蓄積されている。栞とアクターサイドは魔王の強大な攻撃を受け止め、致命傷を負うも、直ぐさまクリスティーンにより全回復する。魔王はクリスティーンに狙いを定めるのだが、栞とアクターサイドが壁になるので、届かない。壁になった栞とアクターサイドはすぐにクリスティーンの回復魔法で全快する。全快した栞とアクターサイドは魔王に攻撃を仕掛け、またダメージが蓄積されていく。栞たちは勝利を意識し始め、魔王の顔に焦りが見える。そして、長い長い魔王の城での戦闘の末、追い詰められた魔王の手から放たれた禍禍しい閃光。魔王の奥の手なのか未完成の技なのか、わからない。

栞たちの視界は真っ白になり、目眩で世界がクルクル回ったような感覚を覚えた後、徐々に閃光が収まった。いつの間にか尻餅をついていた栞は下敷きにしている地面が柔らかく温かいことに気づかなかった。視界が真っ白に失われ、目眩に襲われたとしても、この短くない隙をついてくるはずの魔王の追撃を警戒することに意識を集中していた。魔王の追撃はなかった。閃光が収まったときには、そこは魔王の城ではなかった。一体どこにいるのか。

魔王が放った眩い閃光のため、色覚を失ったのだろうか。見知らぬ部屋、窓の外に見える景色、そこは一面モノクロの世界だった。

「どうなっているの?私達以外止まっている。」

背景がモノクロになった見慣れぬ部屋。魔王の手から出た閃光放射の結果、ここに来たのだろう。どうやら時間が止まっているようだ。窓の外では、雀が公園に降り立とうする寸前で、空中で止まっている。

背後でさっきは閉まっていた襖が開いていて、男が立っていた。彼の右手に握られているのは、掌に丁度収まる大きさの長方形の板のようなもの。青白い光を放っていた。「光熱費節減の余地があります。あなたのお住まいの住宅が一軒家の場合は1#を、あなたのお住まいの住宅がマンションまたはアパートの場合は2#を、押してください・・・・・・」と抑揚のない単調な声がうっすら聞こえる。これが、スマホから漏れ聞こえてくる自動音声だとわかるのは、だいぶ後のことだ。

「驚いた。儂以外でこっちに来た者を初めて見たわい。」

福ロウの腕時計が、二時間先に進んでいた。腕時計のベルトがちぎれた。

栞は、クリスティーンの眼差しを感じつつ、コタツの上にうつ伏せにされ背面が上を向いたスマートフォンをじっと見ていた。アクターサイドは、時折こちらを見たり自分のスマートフォンを見たりしている。少しずつ現代社会のことを理解してきたのだが、理解がまだ不十分だ。だからサイト制作は上手くはいってないはずだ。少しずつしか前に進まないことがもどかしい。いや、前に進んでいるのかさえ、不透明だ。この現代社会にやってきて日は浅く、サイト制作は右も左も分からないのだから。アクターサイドが苛立つのも理解できるが、仕方ないことではないのか。仕方がないことを言い訳にはすまい。

アクターサイドはまだ一つの記事も投稿していない。栞は言い返さなかった。「仕方ないじゃろ。儂らは異世界からやって来た素人なんじゃから。」栞の左手からの声。襖によって隣の部屋が切り分けられていて、その襖を背に座っている男は、名を福ロウという。栞たちと福ロウの出会いは、この部屋だった。

「仕方ないじゃろ。ワシらは異世界からやって来た素人なんじゃから・・・」

栞が言い返さず、ぐっと飲み込んだ言葉をあっさりと声に出したのは、この部屋の主である。名は福ロウ。

栞はこの現代社会にやってきて数ヶ月、この世界に随分驚かされたが、少しずつ慣れてきた自分が不思議であった。

「気がついたら福ロウさんが勝手に始めちゃってて・・レンタルサーバー代も払ったから後戻りはできないよ」とクリスティーン。

今思えば、何故サイト制作をすることになったのだろうか。

現代社会の人間でもサイト制作に関わる人はごく一部だ。異世界人がそう簡単にできることではない。

そう言って、赤いTシャツの男が手に持つスマートフォンの画面をこちらに向けてきた。反射的に彼の右側に目を逸らすとベランダへと続く窓があり、窓の外には工場が見える。大きなマンションがそびえ立っているため、青空は隙間から見るしかない。この部屋は6畳の和室で中央にこたつ机がある。もう春過ぎのためか窓を開けても蒸し暑く、冷房がないためどうしようもない。窓からベランダに出れば涼しいに違いないのではあるが、今はこたつ机の一辺に座っている。何となく右手に広がる窓の外を眺めていたのは、この蒸し暑さから逃れたかったからではないのか、と栞は思い至った。

さて、始めのアクターサイドの口撃に反論せず、黙ってその経過を見ていた栞なのだが。

アクターサイドさんが投稿をしていないのは、他の人の出方を伺っているからかな?

栞はアクターサイドの言動から彼の人となりと所有する特殊能力を分析していた。アクターサイドは異世界にいる時からの知り合いとは言っても、関係は顔見知り程度だったのだ。

それとも単純にネタが整っていないだけかしら・・・。

考えている最中にも、アクターサイドの声が耳に入る。

「ここは第777会議室だ。」

んっ??第777会議室って意味分かんない・・・888でもいいんちゃう?

無理矢理にでも想像を膨らませろってことかな・・・想像力のない人間が一番嫌われる、とどこかで聞いたことあるし。

気の遠くなるような長い長い廊下。薄暗いオレンジ色の灯り。第1会議室、第2会議室・・・と連番のプレートが付けられた扉が延々と続く。第777会議室と書かれた扉を開けば畳の部屋が目の前に広がる。

・・・みたいな空間設定を魔法で創造したいけど、この世界の物理法則が許すかしら。

福ロウたちは現代社会においても異世界の時に所有していた能力を使うことができる。但し、物理法則の許す範囲内で、という制約があった。

あんまり深く考えない人なのかな?・・・うん、たぶんそう。

結局は第777会議室って深い意味なんてないのよ。なんか考えて損した気分。

彼は元々短期決戦型の戦士。兎に角、性格が真っ直ぐなのよ。

わかったことはそれだけ・・・

栞は差し当たりの結論を付けると、吹っ切れたような明るさで言った。

「スリーセブンは縁起がいいですもんね、アクターさんっ!」

・・・今日はこんなところか。

「これからみんなで頑張りましょうね。ただ、外も暗くなってきましたし、本日は解散としませんか。福ロウさんは、とても早寝早起き。鳥の梟とは違って、夜行性ではないのですから・・・」

きりの良さを感じた栞は、言葉にこっそり忍ばせた魔法で、騒ぎを一気に終焉へと向かわせたのだった。

福ロウの6畳の部屋が第777会議室に名称を変え、今後は第777会議室でサイト制作の打ち合わせをすることに決まったところで、今日はお開きとなった。


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